2.【わたし】が変わった瞬間…それは服の生きざまをしったとき。(note2023年6月1日 22:41 投稿)

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2023/12/01 16:44

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新朋子の学生時代。
大学と専門学校のダブルスクール。
ゲリラで
街でファッションショーをしたことがある。
もお27年も前のことかな。

ディスコからクラブへ変わって行く頃。
クラブを貸し切って
フライヤーつくって……
ショーを開催。
でも、短期間で何度もはできない。
洋服の材料費も箱台も
学生にはとても高く
奨学金の返済もあった私にはお金の限界がある……

だからゲリラで街の中で
ファッションショーをやった。

もちろん車は来ないところだけど。
でも、それは結局自己満足でしかなく……
その自己満足が仕事につながったか??
といえば
実は仕事にはつながっておらず。

やっぱり箱台払ってきていただいたイベントから仕事になったりして。
学生時代の自主参加イベントで
スタイリストさんの目にとまり
女優さんの衣装創ったりもした。

好きなことで生活できるようにするためには
仕事にならないといけない。

仕事だけど冒険で
夢だけどカタチになっていく

そうやって
作品がひとつ、またひとつと増えていき
それが自分の経験になって創造の引き出しになる。

私はそうやっていつのまにか大人になった。

メゾンに勤めている時も時間の許す限り
トルソーにピン打ちして
ドレーピングで形を出していた。

学生の頃から数えたら
30年ただひたすらに創ってきた。

その30年で今の私になるべく
最も影響を与えた人
最も尊敬する人
1番超えたい人
それは
メゾン勤務時代の社長
真木洋茂氏。

真木氏の言葉
『服は着てもらえなかったらただの布』。

その言葉との出会いは
就活を始めてだいぶってからだった。

衝撃だった。
クラブでショーやったり
ゲリラでショーやったり
そういうことがカッコいいと思っていた
20代前半の私には
とにかく衝撃だった。

ヨウジヤマモト
コムデギャルソン
に憧れて
お金が全くないから
ウインドウの外からながめて
雑誌をながめて
いつか私もデザイナーになる!と思っていた
10代終わりから20代前半。

私はいつも見ていた…
ショーウィンドウで
雑誌で
見るだけだった。

いつものように
お気に入りの雑誌を読んでいたら
衝撃の言葉が目に入る。

私が学生時代にしてきたことは
見てもらうだけだった。
その服に袖を通してもらっていない。
もちろんモデルは袖を通すのだが
そういう事ではなく
お客様に買っていただいて着てもらっていない…

愕然とした。
全部否定されたみたいな
ただの布…
ただの布だ。

そしたら猛烈に真木さんに会ってみたくなった。
この人に会って話を聞いてみたい…
それからの私は
gommeの池袋店のお店の外に通う日々。

今思えば
デザイナーで社長の真木さんが
営業時間に池袋に現れる事なんて稀なのだけど(笑)

そこから私は
着てもらう服を創りたい
真木さんに会いたい
gommeで働きたい
と念じて課題と向き合っていた。

当時、私が通っていた東京モード学園の就活は一社一願制。
大学学歴就活をしていた頃とは真逆の就活スタイル。
一社一願はある意味では
本当に行きたいところを受けないと
門戸を叩くことすらできない……

そうとなれば
就職相談の先生にgommeにいきたいと
伝える。
gommeを受けたいじゃなくて
gommeにいきたいと(笑)

当時、夜間部でDCブランドにチャレンジさせることはなく前例もないから無理と言われる中
就活担当の先生が
ひたすらにきつい課題を
今の言葉を借りれば
パワハラに当たるレベルで課してきた。

大学を卒業して昼はバイトをしていたから
その課題をこなすには
とにかく睡眠時間を削るしかない。

でも
私はどうしても真木さんに会いたかったので
ひたすらにただひたすらに課題をこなした。

しばらくしてから就活担当の先生より
「gomme受けてみるか?」の一言が……
実は、私がgommeにいきたいと申し出た頃は
まだ募集が出るかどうかわからなかったとか……

夜間部の私は中間部の学生に比べたら
圧倒的に勉強時間が少ない。
中間部の学生が
1日6〜8時間週5〜6日勉強しているところ
夜間部の私は
1日2時間週3日
1/6しか勉強できていない。
夜間部の勉強は
基礎の基礎しかできていない……

今となっては
きっとそのハードルを超えるPowerを試されたのでは??と思ったり。

そうして
書類選考から何百人という競争率を
競り勝って
いや競り勝ってはいないのか(笑)
面白いから採っちゃった
と入社していら言われたが
夢叶ってgommeへ入社。

ドレーピング
パターン
トワル縫製
サンプル縫製

パリコレ
パリ展示会
東コレ
東京展示会
量産

また次のシーズのモノ創り
こうやって
ただひたすらに着てもらうものを作り続けて
いつからか
アパレルから衣装に変わっていき

息を吹き込んでもらって存在感を放つ"衣装"になる。

着るものの生きざまが
いつしか
創ることから離れられない
私の生き様になっている。

仕事だけど冒険で
夢だけどカタチになっていく

見せるから着せるそして魅せるにかわってきた
【わたし】の仕事

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