一日一鼓【10月】
【2023年10月1日 ~ 2023年10月30日投稿分】
1001
あなたは、何を実らせますか?
キャリアのこととか、業績についてとか。
そんなことじゃない。もっと違う何か。
もっと大きなことを、
もっと先のことを聞かれている気がした。
私は、何を実らせたいのだろう。
準備していたカンペに答えは載ってない。
ここまで来て、迷ってしまった。
1002
見納めになると思って見上げたビルは、
高かった。
ここで、働いてみたかった。
知らなければならなかった。
どんな方針の元で、何の為なら
零細企業を吹いて飛ばして踏み潰すことが許されるのか。
その理由を。
あぁ…そうか。
「復讐を実らせます」
そう言えばよかったのか。
1003
また遠回りになっちゃう。ごめんね。
こうして謝るのは何度目になるだろう。
ラベンダーの香りを漂わせる紫のブーケを手向けるのも何度目だろう。
ラベンダー。
プロポーズした時に父が母に贈った花。
薬局を開業した時に母が父に贈った花。
私から贈るのは…もっと違う形が良かったな。
1004
例の風邪に効くんです。治療薬?いえいえ。痛み止めです。少しでも楽になってほしいじゃないですか。一応国からは認められてるんですけど、大手の企業さんはウチに実績ないから。ほら副作用とか…。あ、ウチのはないですけどね。
なんて
真っ赤な嘘で塗り固められた
真っ白な錠剤を今も覚えてる。
1005
大手企業だからって鵜呑みにしないのが父だった。
でも、判断が鈍るあたりちゃんと人間だったと思う。…あの頃は。
真っ白な錠剤…父が堕ちたこの錠剤。
「ラベンダーってね、リラックス効果があるんだって」
クスリを握りしめた私は
じっと、じーっと見つめる。
変わり果てた両親の姿を。
1006
変わり果てたこの地で
「就職」なんて言葉が未だに化石化していないことに驚く。
でもまぁ。
考えてみれば…まだ3年か。
何かあれば社会から遮断させようとする世界。
今回も、また。
足元に広がる深い溝を見下ろす。
溝と塀で造られた安全地帯は“あの頃”を生きようと必死だった。
1007
明日も息を、しているだろうか。
そんな状況の母にどうして父はこれを与えたのだろう。
生と死を分つ謎の薬。
後者であっても母は楽に…
とでも思ったのかも知れない。
私はやっぱり許せない。
父にそんな決断をさせた、あの大きな影を。
母をこんな…人肉を貪る姿に変えたあの人たちを。
1008
想像とは違う形で、母は死を免れた。
そんな母を見て、死を選んだ父。
惨めな父を 救った 私。
私は、私の家族は今、文字通り地獄を生きているのかもしれない。
蘇った死者たちから隔離されたこの土地で、蘇った両親を匿いながら復讐のときを待つ。
……でもこれは、地獄なのだろうか?
1009
母が人の言葉を話さなくなり
父が母の後を追ってから
私の生き甲斐はずっとこの地獄の中心にあった。
安全地帯のど真ん中に聳え立つビル。
まさに、現代の城。
ここを崩落させるのがあの日からの生き甲斐。
これが地獄ならば私は喜んで地獄を歩む。
だって
私は、復讐を実らせるから。
1010
「助けよ。助けなければ人は滅びる。お前も、わたしも」
道徳の教科書で読んだような文句を堂々と説くなんて
どうかしてる。
目を輝かせる聴衆も、どうかしてる。
どうかしてると思うけど
神のように崇められるこの人に近づけば、認められれば
少しは私の生き甲斐も現実味を帯びてくる。
1011
神のように崇められていたあの人は裏で珈琲。
助けよ。助けなければ人は滅びる。お前も、わたしも。
なんて説いてみる。
いかにもな格好で、私も。
あぁインチキくさい。
こんな私たちを信じるなんてみんな可哀想
…だなんてまさか
思うわけがない。
だってもっと、上に行くから。
1012
インチキくさい教えを説き、人の悩みを聴く。
このインチキに“救われた”なんて
本気で思ってたらびっくりだ。
そう思いながらも浮かべる上品な笑み。
でもきっと
救われたいと思ってしまうくらいにはこの中で生きる人々が抱える闇は大きすぎる。
そう考えたら…可哀想なのかもしれない。
1013
S04にて負傷者発見。
足首に咬傷あり。凶手捜索中!
無線の音を下げる。
凶手…か。極悪人みたいだね。
少し体が悪いだけなのに。
そっとユニットバスのカーテンを開けると血走った目と青白い顔の“人ならざるもの”が勢いよく飛び出す。
「…生きた人間のが、よっぽど怖いのに」
1014
目の前に立ち上げられた4台のパソコン。
画面にはゲートと横に立つ兵士の姿。
机の上、そっと手を伸ばした先には「みらひコーポレーション」と書かれた名刺が一枚。
「専務…」
その地位をよく分からないふりをした。
心の中で溢れた笑みの味を今も覚えている。
私にとっての、密の味。
1015
入念に準備をした就職潜入作戦が失敗し、
成功率低すぎるインチキ戦法で尻尾を掴む。
…理不尽な世の中だ。
氷河期を生きていた就活生も
こんな状況になっても企業に属そうとする就活生も
精神力の高さ…いや、受入力の高さというべきか
理不尽への対抗の術を身につけた若者は強いと思う。
1016
専務の名刺とインチキ臭い衣装が私の武器になるとは思っていなかったけど、ようやく。
仇を取るために今日まで生きてきた。
無念を晴らすために何人もの蘇った者たちにナイフを向けた。
復讐はそう簡単じゃない。
あの人たちが両親を追い込んだ事を「簡単」だなんて言ったら…私は許さない。
1017
もう何をしても何を言っても許さないけど。…許せないから。
そんな事を思いながら、陽気な表情を貼り付けて場違いなほど高いビルに足を踏み入れる。
当たり前のように近づいてくる警備員。
「専務に来るようにと言われて」
名刺で黙るなんて、信用のない番犬だ。
さぁ。復讐を実らせよう。
1018
安全地帯の中枢と化しているビル。
最上階からの景色に息を呑む。
安全を謳う塀で作られたこの都は
なんだか生臭い生活臭が漂っている気がしてしまう。
蘇った者たちで溢れてる外の方が澄み切った空気が流れているようにすら思える。
希望も、絶望も、期待も、裏切りもない、澄んだ空気が。
1019
平和とは、安全とは、静穏とは、何でしょうか。
それらが壊れる瞬間、ヒトは何を守るのでしょうか。
問題です。
守るものを奪われてしまったら、どうすべきでしょう?
答えは、身をもって探してください。
そして、模範解答を教えてください。
制限時間はその息が止まるまで…。
さぁ…
1020
「安全地帯が無法地帯となったとき、
あなたは一体どうしますか?」
大きな顔全体に浮かぶ疑問符。
両親をあんな姿にしておいて、幹部たちは平和ボケ?笑えない。
これでもボケていられますか、と見せる真っ白な錠剤。
そう…それが見たかった。
悪魔の粒を作り出した悪魔の、その顔が。
1021
「こんなはずじゃなかった」
背後には柵を越えようとする彼ら…蘇った者たちの姿。
こんなはずじゃなかった
でも確かにこんな状況を望んでいた
思ったよりも気は晴れない。
ずっと下に広がる地面に、両親の姿が見えた気がする。
「さよなら、世界」
もうそこに彼女の姿はない。
1022
終末とはなんだろう。
人生の果てを目の当たりにする瞬間を終末と呼ぶのなら、私はもう経験している。
蘇った者たちが溢れた時?_違う。
この世界が閉鎖された時?_違う。
父が薬を試した時?_違う。
それは、母がこの世を去ろうとした時。
もうあの瞬間から始まっていた。
何もかも。
1023
一生死ぬな。
そう、私が呪いをかけるはずだった。
父が母にかけたように。
あの人たちが父にかけさせたように。
なのに、どうして?
まだ何もしていないのに
どうしてそこで走り回っているの?
どうしてもうすでに蘇っているの?
どうしてあと一歩のところでいつも足止めを食らうの?
1024
硝子一枚を挟んだ先で人肉を貪る者たち。
彼らを見て一目散に逃げ出すこの人たちの行動は想定内。
想定外なのは
私の手に真っ白な錠剤がまだ握られていること。
そして、逃げているこの状況。
あれ?
こんな状況になってもまだ逃げなきゃいけない理由って、何だっけ?
「もう、いっか」
1025
「がんばれ」
無責任な言葉。嫌いだった。
ワタシの想いを知ってか知らずか
大変な時はいつもラベンダーをくれた。
口下手なあの人の精一杯のエールだった。
彼の繊細な優しさとワタシの執念深い生命力を持つあなたがワタシの全てだった。
そんなあなたに無責任にも願う。
がんばれ、と。
1026
生存欲…ずっと前に捨てたはずの欲。
堅苦しくて息もできないこの世界は
なんの欲も生み出さない。
だから捨てた。
なのに
なのに出会ってしまった、あの人に。
そして、あなたに。
「生きたい。できるだけ長く、3人で」
教えて。
そんな些細な欲のせいで世界が壊れたの?
1027
ワタシが「生きたい」なんて言わなければ
あなたはこんなにも苦しまずに済んだのかもしれない。
ワタシもあの人も親失格ね。
ワタシ達のせいで一人苦しむあなたを
もう見ていられない。
こんな姿になってもまだ心配なの。
ワタシが何者になっても
変わらず、ずっと
あなたを愛してる。
1028
真っ黒な心のままあなたが朽ちていくなんてダメ。
そうだよね?
ね?
…なんて、もうこの人があの人じゃないことは分かってる。
ねぇ、みのり。
もうその高いビルの中にいるの?
ワタシ、あなたに会えて幸せだった。
だから最後に、ひとつだけ。
娘に罪を犯させない母親でいさせて。
1029
真っ暗な部屋に揺れる儚い光。
蝋燭の先で小さく震える炎が照らすのは、虚な目をした男女。
人の言葉を忘れたように唸り、空中にいる何かに噛みついている男。
女の口からは微かに呼吸の音が漏れ聞こえる。呼吸は少しずつ、大きく深くなっていく。
まるで
内に宿る何かと闘っているかのよう。
1030
血走った目でドアに手をかける女。
壊れたドアが中にいた者を解放する。
微かに放たれる声はもう人のモノかも分からない。
覚束ない足を動かしながら警備員に近づく。首筋にした口付けは、死の宣告。
血を滴らせる口元が緩む彼女。
その目には優しさが宿る。
彼女の歴史が、実ろうと踠く。
10月の物語 『ある世界の「誰か」の物語』 より
いろんな感情を含んだ涙が口の中で溶ける感覚をワタシは今でも鮮明に覚えている。
口の中で涙が溶けていったように、
今ワタシの中に人の血が溶けていく。
あぁ、もうすぐ。もうすぐ会えるね。