一日一鼓【9月】

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2023/12/01 13:30

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【2023年9月1日 ~ 2023年9月29日投稿分】

0901

「あの夏に出会った、すべての人たちへ」
これは、僕の再生の物語。

あの夏、僕は旅に出た。
どこかにいる誰かを求めて。

お腹が減りすぎて何も食べられないこと、あるでしょ?
遠くに広がる緑の匂いも、都会の喧騒も、あの子の囁きも、何も入らないくらいに僕の全身は何も欲していなかった。

0902

“大したこと”って何だろう。

冷蔵庫のプリンを食べられたとか、月記念日を彼氏が忘れてたとか、シャーペンに付いてる消しゴム使われたとか。

…好きだった彼に彼女ができた、とか。

それって大したことないのかな。
そんな言葉で片付けられちゃ堪らないことが、人にはあるんじゃないかな。

0903

夏休みの思い出を綴る作文は書き出しをいつも迷っていて、気付いたらチャイムが鳴ってしまって。大したことないから書けないやって笑って誤魔化した。

でもあれは、戯けるだけでなかったことになる小学生の思い出とは違う。
あの日の、これからの、今の、僕のために
存分に迷わなければ、と思う。

0904

あの夏の記録…いや
この“物語”の書き出しを僕は「夏にしては肌寒くてパーカーを羽織ったある夜、僕は窓辺の猫に誘われるように外に出た」に決めた。

夏にしては肌寒くてパーカーを羽織ったある夜、僕は窓辺の猫に誘われるように外に出た。現実というものを目の当たりにするなんて、思いもせず。

0905

夜になるといつも来る雑色の美しい瞳をもつ彼女。
今日も彼女に誘われる。

一緒に夜道を歩くのは日課であり、楽しみでもあり、言い訳だった。

彼女と歩きながら僕は、毎日公園を訪れた。密かに視線を送る先にいるのは、ボールの意思を汲み取るように戯れる、彼の姿。
1年前、彼女が…導いた。

0906

「可愛い…キミ何歳?」
「わからないんです」
「あ、飼ってるわけでは…?」
「なくて。夜になるとウチに来るんです」
「へぇ。デートのお誘いでちゅか〜?」
なんて“猫撫で声”を出す彼に思わず溢れた微笑みを、今でも覚えてる。

今日も公園が近づく。
ボールの音が、彼の所在を知らせる。

0907

僕は気が付かなかった。
この音が、いつもとほんの少し違うボールの音が「さよなら」だなんて。
思ってもいなかった。

心躍らせて跨いだ敷地にいたのは、
ボールを蹴り合う“彼ら”。
変な方向にボールを飛ばす女に、満面の笑みを浮かべる男…それは、どこからどう見ても“いい雰囲気”だった。

0908

彼のいるあの時間の公園が1日で1番輝く空間だったし、僕はあの時間のために1日を過ごしてた。

でも。

慰めるように足にまとわりつく彼女に嫌気がさして、嫌気にのせられるように出した一歩が僕の感情の全てだった。

僕は猫が描かれたメッセージカードを隠し、彼らの声を背に唇を噛んだ。

0909

大したことない訳ない。

でも、僕は別に告白もしてないし今思えば好意を持たれていたのかどうかもわからない。ただ想いの共有を願ってた。それだけだった。
そんな願うことしかできない僕の弱さに嫌気がさして投げ出した。
この感情の名前を知ったのは、残暑の中の木漏れ日を浴びたあの日だった。

0910

東京のど真ん中で丁重に育てられた僕だったけど、現実逃避の先に当てがない訳ではなかった。
西にも東にも親戚はいたし適当なこと言えば泊めてくれる人たちだ。

でも、僕は初めて色んなしがらみを断ちたいって感じてしまって。上ることにした。
西でも東でもなく、もちろん当てもなく。

上に。

0911

ショルダーバッグひとつ肩にかけて「どちらにしようかな天の神様の…」なんて小声で言いながら路線を決めて。
降りた先に広がっていたのは、緑豊かで空気が綺麗で水は透き通っていて見渡す限り田んぼ。The田舎。

でも何でか。いかにも不便そうな街並みを前に、僕は清々しい気持ちになっていた。

0912

見てるのは面白いけど話しかけられたくない人って、ごくたまにいて。

それは僕の逃避行にも登場した。

穏やかな街を走るバスで乗り合わせた街並みに似合わぬ派手な風貌のおばさん。
気付けばじっと眺めてしまって。
目が合ってハッとした。
あぁ、困った。

僕はバスで2人になっていた。

0913

案の定近づいてきたおばさん。
「あんた、どこから来たの?この辺の人じゃないでしょ?アタシ勘だけは鋭いのよ。こう見えてアタシね三児の母やってたからさ」

こう見えてって、どう見えてると思ってるんだろう。
長いバスの最後尾に座る僕には逃げ場なんてなく、あっという間におばさんの世界。

0914

本当に申し訳ないけど僕は「変なおばさん」だと思っていた。
だって、全く恥ずかしげもなく自分のことを話すから。三代欲求に次ぐ「認知欲」を包み隠さず見せるから。
彼女は、自分を好きなことに誇りを持っていた。
そんなおばさんは、かっこよかった。

あぁ気付いたら降りるのも忘れて終点だ。

0915

可愛いだけだった息子がもう32歳でバリバリ働いていて、そんな息子を育てた誇りを胸に生きる60歳のおばさん。
それだけだった。
でも。自分の頑張りも、過去のむず痒さも、誰かへの好意も、何も認められない自分がなんだか恥ずかしくなった。
僕はまず、変なおばさんと初めての感覚に出会った。

0916

学校で「祭」と名のつくものは楽しめないし、人前ではうまく話せない、好きな人が出来ても告白ひとつだってできない。
考えてみれば、僕は自分を好きになったことなんてこの18年一度もなかった、と思う。嫌いになってばかりだった。

あの時も、そう。

僕は弱さに嫌気がさして投げ出したんだ。

0917

あの時の言いようのないむず痒さと向き合えないまま僕はここに…なんて、そんな話をしたかったのかは分からない。でも確かにあの瞬間、全開のおばさんを前に、口を開きかけた僕がいた。

初恋らしいよ

ぼーっと、今まで乗っていたバスを眺める僕に声をかけたのはランドセルを背負った少女だった。

  • 0918

    「誰かを見て、自分の言動に恥ずかしさを覚える。心の奥がむず痒くなる。それって、自分を好きになろうとしてなるのを諦めた瞬間で。初恋に敗れた瞬間なんだって」

    ませた小学生の言葉に妙に納得してしまった。
    あの夜、あの公園で僕は一気に2度失恋をしていたのか?

    …何だか心臓がむず痒い。

0919

何を思って僕に声を掛けたのか…まだランドセルを背負う年の子に全てを見抜かれていたような気がして逃げ出したくなった。
この恥じらいすらも初恋の症状のひとつとでも言うのか?
凛として羞恥心と初恋の関係性を説いた小学生の彼女を見て思う。

「この強さが僕に足りないモノなのかもしれない」

0920

だだっ広い敷地に停められた何台かのバス。ふと顔をあげて営業所が終点だったことに気付く。今更。
何でこんなところに小学生が…と振り返った先にもう彼女はいなかった。

残暑の中の木漏れ日を浴びた僕は静かに願う。精霊が見えたとかそう言う類の話じゃありませんように。

そう。僕は臆病だ。

0921

ずいぶん遠くに来た気がする。

僕が知らない景色の中で生きる人たちは、僕が見たくない景色の中にはない空気を纏っていた。

彼らの一部になりたかった。

「克也」

でも、許されなかった。

聞き馴染みしかない細い声に支配される。
唇が、手が、鼓動が、震える。

「やっと見つけた」

0922

あの空間から逃げたくて出会ったのが、彼だった。考えることをやめていたけど、確かにそうだった。
この人のせいで僕は……。

そっと、触れられる指…包み込まれる。

あぁ

…また支配される。
…連れ戻される。
…嫌だ…嫌だ…嫌だ。
…僕はもう、戻りたくなんかない。

僕はこの人が…

0923

僕はこの人が…心底怖い。

優しく抱きしめるその腕も、細くて消え入りそうなその声も、優しさだと思った。

思った僕が間違っていた。

僕は彼女にとっての、理想を詰め込む容器に過ぎなかった。

気が付けば、耳に響いていた蝉の声も、久しぶりに見えたカラフルな景色も、そこにはなかった。

0924

「克也。やっと見つけた。こんな所で何してるの?」
どうかしてるね、なんて聞こえてきそうな笑みを浮かべる彼女。

僕の、母親役の人。

“こんな所”まで追ってくる貴方の方が、どうかしていると僕は思う。

18歳とは、成人か否か。
まだ曖昧でいたい僕を引き留める…それが、彼女だった。

0925

別に過度な期待をされてきた訳じゃない。
ただ、想いが重い。それだけ。

“それだけ”だけど、
大きすぎる彼女の想いに、息が詰まる。
無条件に向けられるその眼差しに僕は応えられない。僕は…おかしいのだろうか?

でも僕はあの人じゃないし、あの人の代わりにもなれない…いや、ならない。

0926

僕は息子役をしっかりとこなしていたと思う。

でも、息子にはなれなかったんだ。
心の奥底からは、父さんとも母さんとも思えなかった。
だからいつも言い聞かせてた。

父親役の人と、母親役の人だって。

勿論生まれ落ちた時からこんな考えな訳じゃない。
僕の歪みにもキッカケくらいある。

0927

最初は何てことなかった。
いつも通りの喧嘩だと思ってた。

その日は突然やってきた。

ごめんなさいって書かれた手紙を握りしめて、父さんが泣いていた。
でもどこか俯瞰してしまう僕がいて。
なんだか寂しかった。

気付いたら
父さんには新しい女の人がいて
僕には母さんが2人できた。

0928

苦笑いってどうやって浮かべるんだっけ。
人への媚び方を忘れてしまった。

これが、旅の終焉を告げる変化だとしたら随分生きづらい道に進んでしまったな。

あぁまた俯瞰してる。
この悍ましい情景を前に。

そこにいるのが母さんだったらな…勿論違うって分かってるけど。

でもやっぱり…

0929

THE男。みたいな名前をつけた父さんも、
「克也(ニコニコ)」って、怖い微笑み向けてくるこの人も。
話すだけで吐き気がした。

それでも好きなふりしてしまうのが僕の欠点だった。

上部だけだと思ってたこの人の愛がいよいよ本物になったのはあれからだった。


父さんが、死んでから。

 

9月の物語 『大したことない世界で僕は』 より

「大したことない」その言葉が心底嫌いだった。
でも、大したことないって片付けて、

大したことないって心を殺す僕自身が何よりも憎たらしかった。

僕はいつからか、「大したこと」に出会わぬ選択をしていたのかもしれない。

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